教室の歩み
信州大学医学部内科学第二教室の開講は昭和26年4月で、東京大学講師であった岸本克巳先生が初代教授として就任した。物資不足の時期にありながらも、岸本教授の精力的な行動により診療形態は急速に整えられ、 そして消化管の神経支配に関する研究を中心に消化器病学の研究が始まった。
昭和28年8月大島良雄先生を教授に迎え、温泉が豊富な地の利を活かした温泉医学と、 終戦当時の日本で蔓延していた覚醒剤中毒に関する研究が行われた。
昭和30年10月に松岡松三先生を第3代教授に迎え、肝疾患と血液凝固線溶系の関連、 動脈硬化と凝固亢進との関連などの研究が行われた。昭和36年には教室在籍者50名を数えるに至った。
昭和39年4月に小田正幸教授が赴任した。 小田教授は、内科学全般にわたる基礎知識を修得するとともに高いレベルの専門分野の医学を身につけることを強調し、胃腸・肝臓・膵臓・糖尿病・血液・循環器の6つの診療・研究グループを創設された。早期消化器癌の診断、膵炎の病態解析、ウイルス肝炎の病態と診断、糖尿病性血管障害発生の機序などが精力的に研究された。この頃より始められた肝臓に関する疫学調査と肝生検標本,患者保存血清の蓄積はその後のB型,C型ウイルス肝炎の研究に多大な貢献をすることとなった。
昭和54年5月に古田精市先生が第5代教授に就任した。新たに腎臓グループが誕生し7つの診療・研究班体制となり、総合内科としての位置付けが出来上がった。研究面では学内の基礎系教室や国内外の研究施設との交流が盛んとなった。 特にウイルス肝炎の臨床疫学的な研究は国の内外で評価されるに至った。更に生体肝移植も始まり内科的なサポートを行うようになった。
平成7年4月に肝炎ウイルスの研究では日本の第一人者のひとりである清澤研道先生が第6代教授に就任した。医師としての基本を“患者がやすらぎを感じ、生きている喜びを持てるようにすること“と説き、患者目線で患者中心の医療が行われる体制を築いた。研究面ではC型肝炎の自然史を明らかにし、C型肝炎の撲滅に尽力し多大な功績を残した。
平成20年1月、田中榮司先生が第7代教授に就任した。「医療に情熱を持て」というモットーのもと、教室がさらなる発展をするために力を注いだ。研究ではB型肝炎の新規血清マーカーの開発とDrug freeを目ざした治療法の開発、C型肝炎のDAAs治療の効率化を行った。
令和2年10月、梅村武司先生が第8代教授に就任した。今までの伝統を継承しつつ、若い先生が十分に力を発揮できる、明るく、開かれた教室に発展させることに力を注いでいる。
外来患者数1日あたりは消化器内科:94.4人、腎臓内科:33.0人、入院患者述数は消化器内科:8113人、腎臓内科:4499人(令和元年度実績)であり、ベッド数は消化器内科:22床、腎臓内科:13床、関連病院19を数え、研究班は肝臓・胃腸・胆膵・腎臓の4つがあり、それぞれ最先端の研究・治療を行っている。
現在の診療・研究活動の目標
- 患者さんとご家族の立場に寄り添うことのできる医師の育成
- 臨床の現場で見つけた疑問を科学的に証明し、世界にその成果を発表できるPhysician-scientistの育成
- 高度な先進医療を提供するとともに、内科全般を広く診ること、そして長野県における消化器・腎臓内科診療を充実させること